ネット上の誹謗中傷について
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名誉棄損について

民法上は、事実を摘示した場合も勿論、意見ないし論評であっても名誉棄損が成立し得ます。
意見・論評については、同じ事実を前提としても様々な意見があり得るし、多様な意見・論評が表明されることそのものに意義があります。意見・論評には正解はなく、むしろ間違いとして排斥・禁圧すること自体が憲法21条の基本的な発想と抵触する。そこで少なくともその意見の前提事実が真実であるならば、対象者は意見で対抗すべきですし、これが言論思想の自由市場の促進です。
したがって、意見論評によって名誉棄損が認められる場面は限定的に解し、抗弁事由は緩やかに認めるべきです(公平な論評の法理)。

例)「きちがい」→精神異常者という意味なのか、単に対象者を批判する文言なのか

 

また、特定の人について否定的評価をもっていることが表明されたからといって、それによってその人社会的評価が直ちに低下するわけではなく、単にそのような意見を持っている人がいると思われるにすぎない場合もあります。個人の感想や愚痴や主観的な意見で客観的基準がない事柄などがそうでしょう。味がまずいとか、面白くないとかそういう投稿を指します。

 

インターネット上では、実際には少人数しか投稿に対し関心を持つ人がいないことも十分にあり得ます。一般人による愚痴、不満の投稿については、不特定多数の利用者の関心の対象とはならないと考えることができます。

 

また、民事上は、過失による名誉棄損も不法行為になります。

掲示板の書き込みについて

社会的評価の低下がいえるかの判断基準について

 

掲示板に掲載される情報の信用性が低いことから、名誉棄損の成立の判断において、基準を変えるべきなのかという点において、否定的に裁判所は考えておりますが、

 

東京地判平成25年8月28日は、掲示板の投稿内容が虚実ない交ぜであり、一般読者は、半信半疑で臨み、その内容次第で信用度を判断するとしたうえで、対象者である会社における使い込み等の一部の投稿につき、社会的評価低下を否定しました。一方で、一般読者が半信半疑で臨むとしても、会社の内部者しか通常知り得ない様々な事項を具体的に述べながら、経営者である対象者が反社会的勢力とつながっている等と摘示すれば、特に信用性が高いと理解するのが通常として、一部の投稿が社会的評価を低下させると認めました。
東京地判平成21年9月11日は、対象者を敵に回したら殺されるかもしれないという趣旨の掲示板の投稿について、末尾に「キャ!ー!」と記載されていること等を踏まえ、実際に殺される可能性があるとの印象を与えるとは言えないと判断されて、社会的評価の低下を否定しました。
他にも、東京地判平成21年6月17日は、掲示板の投稿が攻撃的で過激な批判を書き連ねることに関心を抱いている無責任な野次馬にすぎないと判断しました。

 

社会的評価の低下の有無が微妙な表現においては、インターネット上の表現であること、特に掲示板の投稿であることから、読者が半信半疑で臨むことから、社会的評価の低下の程度は不法行為に至らない程度と認定されることはあり得るということになります。

 

「一般人」の読み方の範囲

 

東京地判平成26年6月11日は、検索等によって掲示板の個別の投稿を目にした読者の通常の注意と読み方は、あくまでも投稿自体の記載から読み取ることができる内容を把握するというものとしています。

 

掲示板の読者には、当該スレッド及びそのテーマに強い興味を持っている者から、単に暇つぶしのため掲示板を読み流すだけの人、更には外部からのリンク、検索等によってたまたま個別の投稿を閲覧しただけの人まで様々な人がいることから、「一般読者」が誰かを確定することは容易ではありません。

匿名・仮名による言及と対象者の特定

東京地判平成18年11月7日は、イニシャルを表記し、会社や所属部署といった属性について記載したケースで、対象者と面識ある者や対象者の属性のいくつかを知るものであれば特定できるとされました。
同平成26年3月10日も、その記載に係る人物の属性等を総合することにより、不特定多数の者が、匿名であってもなお当該特定人について記載されたものと認識することが可能であることを要するとしました。記事の記載内容から、当該対象者の属性等について一定の知識、情報を有している者らによって、対象の特定がなされる可能性があり、これらの者から、特定された対象者が不特定多数の第三者に伝播する可能性があれば、特定されると解されます。

 

仮に実名のみを特定した記載をしていた場合でも、それと社会生活上の地位等が結びつかない場合には、特定されたと言えるのかという問題があります。職業や住所等が実名と結びつけば、多くの場合は同定できますが、同姓同名も多いことから、実名だけでは誰のことか分からないことも有ります。それが対象者のことを指すのかについて検討を進めることを求められるでしょう。

真実性・相当性の抗弁

民事名誉棄損においては、刑法230条の2のような明文規定はないが、最高裁は、ある行為が対象者の社会的評価を低下させるとしてその行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示した事実が事実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為が成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信じるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないとします。

 

公共性

私が取り扱う案件では、私企業・私的団体に関するものが多いので、言及することとします。
特に著名でもない、一般の私企業や個人事業主の場合、裁判所は、営業活動等の対外的活動に関係する事実であれば、公共性を肯定する傾向にあり、商品を一般に市販したり、不特定の顧客に対しサービスを提供していれば、そのような商品やサービスに関する表現が公共性があるとされることはやむを得ません。また、労働者を雇用していれば、転職等で労働市場とのかかわりをもっていることから、その側面に関する表現についても公共性ありとなります。

 

また、団体やコミュニティの内部事項は、社会全体にとって関心が低くとも、そのメンバーにとっては、関心が高い事項であるので、公共性が肯定されます。

 

公益性(専ら公益を図る目的に出た場合)

「専ら」と法文上ありますが、「主たる動機が公益目的」という程度に緩和されているのが裁判例の考え方となります。
公益性が認められるには表現の方法や程度によって判断が変動します。中立性や客観性がもたれた表現は公益性を認める方向性へ働くでしょう。
誹謗的・中傷的・揶揄的は当然公益性を否定する方向性へ働きますが、意見ないし論評としての域内であれば直ちに否定されない場合もあると思います。
この辺りはバランスをみて判断されるということです。

公正な論評の法理とは

以下の4要件を満たした場合に意見ないし論評による名誉棄損が免責されるというものです。

論評が公共の利害に関する事実に係ること
論評の目的が専ら公益を図るものであること
その前提としている事実が重要な部分において真実であることの証明がある(真実性)か、または、真実と信じるについて相当の理由があること(相当性)
人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないこと

「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したもの」という限度を超えない限り、論評の合理性や適切性は一切問わないことに注意

 

人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないこと

執拗性、揶揄・愚弄・嘲笑・蔑視にわたるものであれば逸脱したものと判断される傾向にあります。やや強めの表現にとどまればセーフです。

馬場総合法律事務所

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